昨日表のブログで恋愛論とか語って、今日鬱病の友人と話して、改めて自分は負の刻印者なんだと思った。
もう克服したと思っていたトラウマのこと。やっぱりこいつがどれだけ私を苦しめているのかと今日実感した。この経験があるから私は自分を許せていないし、自分に自信が持てていないんだ。
だから恋愛に対し前向きになれないし、性に対してもオープンになれない。もう演劇生活に戻ってきて一年になるのにまだ私は自分を女性として見られることに抵抗がある。そういう女性性を前面に押し出した役もやったのにだ。男性に女として見られるのが怖い…私は人に優しすぎる。だから自分に好意を持ってくれた人には傷つけたくなくてあやふやな態度を取ってしまう。だからセクハラをされるんだろう。相手が勘違いして。私がセクハラに遭い易いのは、私にも問題があるんだと思う。でもどうしたらそれを変えれるのかがわからない。私はきっとこれからもセクハラされたり、レイプされたりすることがあるんだろうなと思う。性の苦しみはきっとこれまでだけじゃ終わらない気がする。それを考えると気が狂いそうになる。
どんなにいい恋愛をしても、どんなに愛されても、私は二回もいたずらをされたという事実は消えない。それは私の体に負の刻印として刻まれてしまった以上、治ることはない。
私も普通の恋愛がしたかった。幸せになりたかった。そして相手を幸せにしたかった。
でも、私にはそうなる資格がない。その資格を他者によってもぎ取られてしまった。一生消えない傷。どれだけ苦しめば神様は許してくれるんだろう。これからの長い人生を思うと気が遠くなる。いつになったら私は自分を許してあげられるようになるんだろう。いつになったら自分で幸せになっていいという思いが生まれるんだろう。
人には理解して貰えない辛さと痛み。
自分だけで抱えていくしかない重み。
どうして私はそんな星のもとに生まれてきてしまったんだろう。鬱病にまでなって。どれだけ自分の精神を苦しめたら神様は許してくれるんだろう。
人は冷たい。
鬱病になって、人の優しさがわかったとよく本などに書いてあるけど、私は逆だ。
「どれだけ人が人に対し冷たいかわかった」
親友だと思ってた人。友達だと思ってた人。何人にもこの病気になって裏切られた。病気だと知ったとたんに離れていった。「病気に甘えるな」と言う人もいた。そのたんびに、「お前に私の何がわかる」と言いたかった。私になったことがないのに、私の苦しみや辛さ、どれだけ悩み苦しみ抜いたかなんて知りもしない癖に、なんでそんなに自信を持っていえるんだろう。それだけのことをお前はしたのかといつも言いたかった。お前は人を批判できるほどできた人間なのか、経験をしてきた人間なのか、神のような存在なのかと問いたかった。
確かに同じ人間はいないわけだし、人の痛みが完全にわかる人なんていない。でもどうして相手の心を少しでも汲み取ろうと努力しないんだろう。本当にこの病気になってから人に対しこう思うようになった。
そして、やっぱり痛みを知らない人間は他人の痛みなんて絶対わかるはずなんてないんだろうなということも知った。
人は冷たいと思う。
そして同時に、自分も冷たいと思う。自分自身に対し冷たいと思う。
私はいたずらされた自分が自分で許せない。今だに許せない。「そんな経験をするのは自業自得だ」とよく思う。私はそういう目に遭わないといけない存在だったんだろう。きちんとした人間としての価値がないから。辛い目に遭わないといけない人間だったんだろう。そうでも思わないと自分で納得ができない。多分前世かなんかで凄い悪いことをして、今の世でその償いをするために私はこんな目に遭ってるんだろう。しょうがない。諦めるしかない。でも許せない。自分を許すことは到底できない。
そしてその度、生んでくれた親に申し訳ないと思う。望まれて生まれてきたはずの私なのに、その生きてる本人自体が自分自身が生きていることを許していない。なんて親不幸なんだろう。なんでもっと生きることに感謝できないんだろう。
「生まれてきて良かった」なんて、私は口が裂けてもいえない。
私より辛い思いをしている人もいっぱいいることは知っている。こんな言葉を聴いたら、癌で苦しんでる人や病気で苦しんでいる人は批難轟々だろう。「それなら替わってくれ」と言われるだろう。
でも、私も病気と戦っている。人には見えないからなかなかその苦しみをわかって貰えない病気。そして傷。だからこの病気には自殺する人が多いんだと実感する。わかって貰えることが少ないから。精神科の先生でさえこの病気の苦しみを理解していない人がいる。そして傷を理解してくれない人がいる。
私は普通の人になりたかった。
いっぱい恋愛して、いっぱい友達を作って、結婚して子供を生んで…
自分の性に対し拒絶するようなことはなくて、自分自身をここまで否定することはなくて。そんな人になりたかった。自分を愛してあげたかった。そして人を愛したかった。
私は自分を愛する資格がなくて、人を愛する資格もない。そして愛される資格もない。
悲劇のヒロインにはなりたくないのに、自分がまるで芝居の登場人物のような人生を送っていることが心底嫌になる。本当にどれだけ苦しんだら許されるんだろう。
そして、これ以上の苦しみに耐えられる自信がない。これ以上苦しい思いをするくらいなら死んでしまったほうがマシとさえ思う。
死ねないけど…
死んだほうがよっぽど他人にとって迷惑だってことはわかってるから。他人に迷惑じゃなかったら、私はとっくに死んでると思う。
私が生き急いでしまうのは、きっと自分には生より死のほうが近いからと感じているからだろうと思う。「今を生きる」のではなく「死んでしまうからその前に何かをしなくては」という思いが強い。
多分私は長生きはできないなと思う。そんなこと言って90まで生きてたら笑うけど。
でもそこまで長い寿命を与えられていたら、それこそ神様は私のことが嫌いなんだろうな。生きているからこそ楽しいことも沢山ある。でも生きているからこそ辛くて苦しいことも沢山ある。
もし私のこの負の刻印が消えたら…
どんなにか私は幸せになれるだろう。人を信じて、愛して、愛されて…
自分を愛してあげたかった。人を愛したかった。
もう裏切られるのは嫌だ。人を自分のせいで苦しめるのは嫌だ。でもどう泣き叫んだって、何もならない。私は生きていくしかない。負の刻印を背負ったまま…